おもいで科学館 その2

準備段階で十分なシミュレーションをしたつもりでも、科学館がオープンした当初は机上で予想していなかったことの対応に追われて、日々てんやわんやの状況でした。筆者の担当していたプラネタリウムや天文台でも、機器の不具合や運営上の課題への対応で、ほとんど家に帰れなかった記憶があります。

 しばらくすると運営も落ち着き、天文台では様々な天体の観察会を実施しました。太陽や月、木星や土星等は、宇宙のスケールでは地球の近くにある天体であり、望遠鏡で拡大して見ると迫力があるため大人気でした(※1)。一方で、大型望遠鏡の特性を活かし、家庭では難しい宇宙の彼方にある銀河や星雲等の観察にも力を入れました。日食や月食、流星群の大出現などのイベント的な天文現象の観測会も行いましたが、その中でも特に思い出深いのは、1994年におきた、シューメーカー―レビー第9彗星(SL9)の木星への衝突です。

(画像 科学館の天文台で撮影した衝突写真)

 この彗星は、木星の重力(正確には潮汐力※2)によって分裂しており、その破片が7月16日から22日にかけて次々に木星に衝突したのです。といっても、その場所は木星の裏側であったため、地球から望遠鏡を使って肉眼で観察するには、木星が自転して衝突した場所が表に出て来るのを待つしかありません。困ったのは、このとき何が見えるかを本当にわかっている人は誰もいなかったことでした。衝突の痕など出来ないか、すぐに消えてしまうという人も多かったのです。研究目的の観測であれば、空振り覚悟で万全の準備をすればよいのですが、多くの人に集まっていただく観測会で「残念ながら何も見えませんでした。」では申し訳ないのでいろいろと悩みました(※3)。結果的には、科学館の望遠鏡で、木星表面にできたはっきりした衝突痕を多くの方に見ていただくことが出来てとてもよかったのですが、この現象は昼夜を問わず数日間にわたり、その間報道機関への対応なども含め、個人的には大変ハードな日々でした。

成島晋也(なりしましんや)元科学館職員

※1 太陽表面の観察は危険を伴うため、家庭での観察は避け、科学館のような専門的な設備のある施設での観察をお勧めします。

※2 彗星に限らず、宇宙空間の天体は重力にひかれて自由に運動するので、その天体上では他の天体からの重力の効果は消えてしまいます。従って、地球上で太陽が頭上にあっても、太陽の重力の分体重が軽くなることはありません。しかし、大きさのある天体の両端に働く重力の差は消えません。この力を潮汐力といい、地球の海の潮の満ち引きも太陽や月の潮汐力によっておこります。

※3 SL9の破片が木星に衝突したときに、どんなことが起こるかを予想する手がかりとし て、高校の力学の範囲で大まかに衝突のエネルギーを見積もってみましょう。 破片の大きさを、一辺が1kmの立方体程度だとするその体積は、
  V = 1km3 = 1 × 109m3
密度ρは水と同じだとすると、
  ρ = 1g / cm3 = 1 × 103kg/m3
従って、この場合破片の質量は、
  m = ρV = 1 × 1012kg
となります。破片が木星に衝突する速度の大きさは、物体が木星の重力から脱出するとき に必要な速度(脱出速度)である秒速60kmが目安になります。
  v = 60km / s = 6 × 104m/s
これらの値を、運動エネルギーの公式に入れると、
   E = 1/2mv = 1/2 × 36 × 1012 × (104)2kg·m2/s2 = 2 × 1021J
いろいろな仮定が大まかであることを考慮して一桁少なめに見積もっても、これは広島 型原爆100万個以上に相当する大きなエネルギーになります。地球で6500万年前に 恐竜が絶滅したのも、隕石の衝突が原因と考えられており、SL9の衝突以降、地球に接 近する天体の監視が世界中で本格的に行われるようになりました。

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